26歳、ストレスとプレッシャーで休職した日。これからの人生を変えるために考えたこと。
こんにちは、土谷愛です。
今日はすこし昔の話をします。
夢も特技もない
平凡な会社員だったわたしが、
一人で起業しよう。
と、27歳にして
働き方を大きく変えるきっかけとなった、
人生でいちばん苦しかったときの話です。
「社畜」と言われた5年間
私は大学を卒業してから、
約5年ほど営業として働いてました。
まったく何の自慢にもなりませんが
朝7時ごろから深夜1時ごろまで会社にいるのはザラで
休日出勤も当たり前のようにあり
休みでもお客さんからの電話が鳴れば対応してました。
正直その5年間は、
ほぼ毎日休みなく仕事をしてるような状態でした。
仕事で人の役に立てることは好きだったし
自分が成長できてる実感もありました。
でも、そんな生活を5年も続けていたある日
突然わたしは朝起き上がることができなくなりました。
お医者さんには
「自律神経失調症」と診断されました。
単に激務で体がキツかったのもあるけど
それ以上に営業のプレッシャーや
ウマの合わない上司へのストレス、
苦手な仕事のやり方を選択しなきゃいけなかったりと
精神的な負担が半端なかったのです。
職場の人たちは
「気にせずいくらでも休んで欲しい」
と言ってくれたので
お医者さんとも相談して
わたしは少しの間、休職をすることになりました。
突然の休職。すべてを失くした日
ここからはその時に考えてたことを
そのまま書いていきます。
平日の昼間。
みんなが働いてる時間。
毎日わたしは家にポツンと一人
何をすることもなくベッドに横たわり
白い天井をずっとずっと眺めていました。
でも、一人暮らしをしていた
その狭い部屋を見渡せば、
そこには私の5年間があって。
営業で表彰されたときの賞状や
会社のみんなで撮った写真。
お客さんに「いつもありがとう」ともらったお土産。
自分の誕生日も一人で休日出勤してたら
サプライズで駆けつけてくれた部下のみんながくれた
たくさんのプレゼント。
いつお客さんに呼ばれても
家から商談に直行できるようにと
会社から持ち帰って、
部屋の隅に積み重なった自社商品のパンフレット。
初めて出版に関わった思い出の雑誌。
初めて自分が担当した広告。
一日も早く成長したくて
買いあさった山積みのビジネス書。
売れる営業になるための心理学の本。
部下にわかりやすく教えるための指導法の本。
タスク管理の本。
人のモチベーションについての本。
わたしが暮らしていた1Kの狭い部屋には
テレビとベッドとテーブル以外は、
本当にそんなものばかりでした。
大げさかもしれないけど
それほど、わたしの5年間は
生活のすべてが仕事だった。
幼いころから20年以上
内気で暗い性格にも、パッとしない外見にもコンプレックスだらけで
そんな自分に自信がなかったから
何やっても中途半端な自分のことが大嫌いだったから。
とにかく人の役に立ちたくて
そのためにもっと成長したくて。必死でした。
毎日考えてたことは、
早く成長しないと、お客さんの役に立たないと、商品を売らないと、もっともっと。
昨日よりもっと頑張らないと。
別に元々ストイックなわけでも
意識が高かったわけでも全然なくて
何か目に見える評価がないと
自分の存在価値がなくなっちゃう気がして。
こわかったんだろうと思います。
だから必死で営業スキルを磨いて
毎月誰よりも多く商談に行って
売って、売って、売りまくって。
社内での評価をあげて昇進させてもらって。
25歳で課長職になって。
それでようやく色んな人から
「若いのにすごいね」って言ってもらえるくらいになって
少しだけ自分が好きになれてきて。
きっとこの先も数字とか昇進とか
そういうバリバリのキャリアに憧れて、追いかけて、ずっと。
恋より仕事で
家族より仕事で。
もしかしたらずっと独り身のままかもしれないけど
でも、自分はそういう人生を生きるんだろうなって思ってた。
だからなおさら
一人でも生きていく力をつけなくちゃって。
でも、そうやって5年間
積み重ねてきた順調なキャリアを
今、目の前でぜんぶ失くしちゃった。
キャリアどころか
わたしは毎日家にいて
働いてすらないんだもん。
人を感動させてるわけでもなければ
何かを売り上げてるわけでもない。
わたし、誰の役にも立ってない。
誰にも必要とされてない。
しかもきっと、
もし今、履歴書でも作ったら
ポツリと空白の期間ができて
「このときは何をしてたの?」
と聞かれることになる。
病院の受診歴を聞かれれば
「心の弱い子なのかな」
って烙印を押されることになる。
きっとそうなる。
例えどんな努力をしても、
その履歴書ひとつで、
「どんなに入りたくても絶対に入ることができない会社」が今後は生まれてしまう。
だってキャリアって、会社員って、そういうことだ。
「みんなができてること」をできない人に
世間は驚くほど冷たい。
わたしはそれを知ってる。
だって子どもの頃からそうだった。
みんなみたいに明るく笑えないと
クラスで友達ができないし
みんなみたいに外で遊ばないと
「あいつ暗いやつ」って言われちゃうし
みんなみたいに手を挙げて発言しないと
通知表で◎をもらえないし
みんなみたいに九九を覚えられないと
あっという間に置いていかれるし。
ずっと「みんなみたい」になりたかった。
でも、私はうまく笑えなくて、大きな声もだせなくて。
お姉ちゃんはいいなあ。
みんなみたいに?みんなよりもかな、
明るくて、友達がいっぱいで、人気者だった。
同じ家に生まれて
同じ親に育てられてるのに
なんでお姉ちゃんとわたしは違うの?
なんでこわくないの?
話しかけても無視されちゃうかもしれないのに
なんで話しかけられるの?
手を挙げても気づいてもらえないかもしれないのに
なんで元気よく手を挙げられるの?
なんでみんなは自分を出すのがこわくないの?
お母さんの後ろに隠れてたほうが安全なのに。
ひとりで本を読んでれば、誰にも傷つけられないひとりの世界にいられるのに。
わたしはずっとそんなふうに生きてきた。
だから
「こんな自分を変えたい」って思いで
勇気をだして営業マンになって
会社で一番売れるようになって、表彰されて
若くして昇進もして
「愛さんみたいになりたい」って慕ってくれる後輩ができて。
そんなことは私の人生で初めてで
本当にただうれしかったんだ。
少しは憧れだったみんなみたいになれたのかな?
お姉ちゃんみたいになれたかな?
たぶんこの5年は心の奥が
そんな気持ちで満たされてたのに。
また全部なくしちゃったなあ…
ばかだな、私。
5年間なんのために努力してきたんだろう。
休職中はよくそんな気持ちになって
夜になると涙が止まらなかったりしたんです。
人の温かさに触れて見えてきた”理想の人生”
だけど同時にそれまで見えなかったものも
だんだん見えてくるようになって。
電話越しのお母さんの心配そうな声。
「お前を養うくらいのお金ならある」ってぶっきらぼうなお父さんの声。
仕事が終わってそのまま夜中に家に駆けつけてくれた彼氏。
逆になんにも触れずに美味しいごはんに誘ってくれた友達。
尊敬してた社長も
わざわざ休みの日に家の近くに来てくれて
私への感謝だとか
人生で休む時間も必要だとか
たくさん話をしてくれた。
すごく忙しい人なのに、
ただの一社員のわたしのために。
私が会社にいたころは
営業うまくできなくて毎日泣いてたくせに
「なんの心配もないです!たまにはちゃんと休んでください!」と頼もしく言ってくれた後輩。
急に休むことになっちゃって
きっと迷惑たくさんかけたのに。
そういう人の温かさとか、つながりとか
「ただ元気でいてくれるだけで嬉しい」
って言ってくれる人がたくさんいて
なんか涙がでた。
べつに誰にも言わずに
ずっと頑張ってたことを見てくれてたり
でも頑張ってなくても大好きだよって
愛情をくれる人がこんなにいたんだって
また涙がでた。
それで、
わたしはこういう人たちを
二度と心配させない働き方がしたいって
自分を大切にしたいって
初めてそう思った。
だけど人に喜んでもらうのも
成長を実感するのも
その瞬間もやっぱり大好きで、
それも叶えたかった。
だから「やりがいはないけど定時に帰れる仕事ならいいかな」って考えは
正直ちょっと持ったこともあるけど、
でもやっぱり違うって思った。
わがままだけど叶えたかった。
やりがいも、自分をいじめないマイペースな働き方も、両方。
そのために考えた。
ちゃんと真剣に、感情に流されず、戦略的に将来のことを。
毎日、仕事で吐きそうなほど戦略を考えてきてよかった。
こういうときにも使えるんだ。
働き方を変えるために。たどり着いた本質
で、まず働き方を変えるために
考え抜いて行きついたのはこんな答え。
自分のペースで何にも追われずに働くには
その手段は2つしかない。
1つは、自分の単価を上げること。
例えば今なら、
日給1万5000円で月20日働けば、今月の給料は30万円だ。
だけどこれを例えば日給3万円にできれば
同じお金を稼ぐのに、働くのは月10日で良くなる。半分だ。
つまり、より少ない労働時間でより高い単価をもらえる人間にならなきゃダメだって思った。
これをするには
転職か、独立か、あるいは給与交渉って選択肢がある。
例えばこの記事で書いたみたいに。
→あなたの価値は誰が決めますか?元営業女子が教える「給与交渉術」
でも月の稼働日を自分で決めていい会社は
実際まだまだ少ない。
会社に雇われるってなれば
フルコミッション(完全成果報酬)の営業とか
外資系で超成果主義の会社になるだろうな。
だけどそれは結構なプレッシャーだ。
人からノルマを決められるっていうのも
休職前と変わらないから
実際のストレスは変わらないかもしれない。
そうなると濃厚なのは独立かな?
もちろんこれも、収入ゼロのリスクはあるから
プレッシャーは変わらないかもしれないけど
でも仕事内容や量を誰かに決められるストレスはない。
うん。もしかしたら、私にはこれが向いてるのかも。
雇われて営業しかやって来なかった私が
なにで独立できるのかはいったん置いといて。
そしてもう1つの手段は、働かなくても収入を得る仕組みを作ること。
これはそのときに初めて考えた。
「仕組み」っていう考え方。
例えば不動産投資とかを考えてみると
マンションを買って、
その家賃収入を得れば不労所得になる。
こういうのは実質の労働時間がゼロだし
入居者がいれば安定した収入になる。
ストレスは少なそう。
けど、入居者が絶えない保証はない…というか
そのあたりは努力で何とかなるもんでもないから結構リスクがある。
っていうか、そもそも私は奨学金返済があるし
元手になるお金がないのでマンション買えない。
ダメだ。
このくらいまで考えた時に
ネットで色々見ていたら
今の私みたいにブログで情報発信をして
自分の商品やサービスを販売して楽しく暮らしてる
そういう人たちを見つけた。
考えてみれば、ひとつ記事を書いて
自分が寝てる間にもブログに人はやって来るので
そのとき物が売れれば
これも「不労所得」って言えるかも、って思った。
ブログとかだったら始めるのに
マンションみたいに大きい資金がいらないことも知った。
失敗しても痛手が全然ない。
独立して、一人でブログ作って何かを売って収入を得る。
うん、こういう働き方だったら
やりがいも、マイペースな暮らしも
欲しいものは両方手に入るかもなって。
しかも自分ひとり暮らしていくくらいなら
何とか稼げなくもなさそうだった。
そこから色々「ネットで稼ぐ」「独立する」ってことについて
ちゃんと考え始めた。
どうやって稼ぐとか、
私に何ができるのか、とか。
このへんの具体的な話は書くと長いし
メルマガで書いてるからここでは省くけど。
だけど、
「どうしよう、もう人生終わりだ…」
って休職当初は悲しくなってたけど
こうやってちゃんと戦略的に
自分の人生を考えたことが、
今みたいに働き方を変えられた最初の一歩になった。
別に私は全ての人がこの働き方をすべき!とは全く思ってない。
会社員で幸せな人もいるし。
大事なのはみんなが仕事を楽しむこと。
本当に本当にそう思う。
でも手段は何にせよ、
もしあなたが私と同じで
やりがいも自分のペースも諦めたくないって思うのなら
知っておくべき本質は間違いなくこの2つです。
①自分の単価を上げること
②働かなくても稼ぐ仕組みを作ること
この視点がないと、
根本的には何も変えられないケースが多いんじゃないかなって思う。
もし今働き方や仕事に悩んでるなら
あなたが人生で大事にしたいものって何なのか?
そんな人生に変えるために必要なのは何だろう?
って具体的に考えてみてほしいです。
苦しくなったら体や心を壊す前に、
誰かに相談してみてください。
もし迷ったら、
私にでもいいのでぜひ話してください。
メルマガに登録してすぐ届くメールに
直接返信していただければ私のメールボックスに届きますし、ちゃんと全部大切に目を通してます。
どうか私みたいにならないで。
大切な人を心配させないでください。
PS.
このエピソードから約3年、
実際に起業してみて今思うことを
正直に書いてみました。
コメント
コメント一覧 (3件)
こんにちは、いつもメルマガ拝見しています。
等身大の内容に勇気をもらっています。
偉そうでもない、普通過ぎる感覚が好きです。
私も自分の働き方について考えてみたいって思いました。
ありがとうございます。
こんにちは、初めて返事かきます、色々と勉強になります。
ありがとうございます。
おはよう御座います。参加者の者です。
インターネットと自分をかけあわせ、稼ぎを最大化し、家族のあらゆる選択にYES、JUST DOit!って、何の躊躇いもなく後押しできる存在になります。愛さんの手法を勉強し実践します。