もし昔に戻れるなら、わたしはお母さんに人生を楽しんでほしかった。

 

ずっと思ってたことを正直に書くと、
すべてのお母さんは、もっともっと人生を楽しむべきだと思う。

 

わたしにはまだ子どもはいないので
子の立場しか経験してないけど、
子どもの頃から母が苦労する姿を見て育ってきたので、その立場からすると

すべてのお母さんは、もっと自分に自信を持って
「人生めちゃくちゃ楽しい」と胸を張って言える生き方をしてほしいと思う。

なぜなら、その方が人生を楽しむ子どもが増えるんじゃないか。
結果、その子たちが大人になり、人生を楽しむ大人が超増えるはずだ。
とわたしは確信してるから。

 

子どもにとって母親の存在って本当にでかい。

母親のことを好きか嫌いかとか、
そこは人によって違うとは思うけど、絶対的に変わらないことがある。

それは、母親は、
この世界で唯一生まれる前から一緒にいて
命がけで自分を産んでくれた人だということ。

だから本来なら願わくばその人が幸せであってほしいとか、
人生を楽しんでほしいと感じる人は多いと思う。

 

 

少しわたしの昔話をすると、
わたしの母はとても優しい愛情深い人だった。
そして同時に、とても我慢強かった。

だけど、愛情深くて我慢強いがゆえに、
自分のことを犠牲にしてしまう人だった。

ここからはそれについての話。

 

うちの父と母は九州の出身で、
父は九州男児で「ザ・亭主関白」を絵に描いたような人だった。
家ではいつも自信満々で威張ってた。
もちろんこのへんは生まれというより彼の性格だろうけど。

父の口癖は、
「いいから口答えするな」
「こんな事もできないのか」
「なんだその目つきは」←ただ真顔で見ただけでも。。
だった。

何かあるたびによくキレて、高圧的で大きな声を出されて、
頻繁ではないけど時には暴力だってある家庭だった。

こわかったなあ。本当にこわかった。

 

わたしが生まれるころ、父と母はすでに仲が悪かった。
というより父の、母に対する態度がとにかくひどかった。

例えば、
父の誕生日に母が一生懸命ケーキを焼いても、
ひとくち食べて「店で買った方が美味い」とか言い放つし。
←当たり前だろ。と今はぶん殴りたい。。

母の作る夕飯にも何かと文句ばかりで、
「今日も手抜きか」って吐き捨てながら食べる。
←じゃあ食べるな自分で作れと全力で言いたい。(当時は言えなかった)

母へのありがとうなんて、20年以上一緒に暮らして一度たりとも聞いたことがない。

 

まだ小学校低学年のころ、
わたしが父とお風呂に入ると、湯船の中で必ずお母さんの悪口を聞かされてた。

「お母さんはこんなにだらしないんだよ」
「お母さんはこんなに口答えするんだ。お前はこんなふうになっちゃダメだ」

父と向かい合って座る湯船の中はせまくて逃げ場がなかった。
だからこそ聞かされてたんだと思うけど。

わたしは優しい母が大好きだったから、
その悪口を聞くたびにすごく悲しくなって。

空気も、お湯も、わたしの心も
どす黒く濁っていくような感覚を感じてた。

毎日その時間が息苦しかった。

だから悪口が始まると、
目をぎゅっとつぶって、息を止めてお湯に潜る。

悔しくて悲しくて、でも父を怒らせるのが怖くて、
言い返すことができない自分。

目に涙が溜まるのをそうやってごまかしてた。

けどお湯の中に逃げても、遠くで響く悪口が延々聞こえてくる。
それは生き地獄だった。

 

母が疲れていて、取り込んだ洗濯物を
夜のうちに畳み終えずに寝てしまっただけで、
「こんなにだらしないなんて、お前は人間として終わってる、欠陥がある」
と父が怒ってるのもよく見た。

だから母がリビングで寝ちゃったときは、
わたしが夜にこっそり起きて代わりに畳んだ日もあった。

 

いやウソでしょ?って思われるかもだけど、
うちの毎日は本当にこんな感じだった。

何度振り返って考えても、父の方がじゅうぶん人間として終わっていると思う。。
親というか教育者としても。

 

話はそれるけど、考えてみるとわたしの完璧主義やネガティブって
父の影響が大きい気がする。

「ケーキはお店みたいに作らなきゃダメ」
「家事は絶対その日に終わらせなきゃダメ」
「完璧な妻で、完璧な母でなきゃダメ」

母がこんなふうに洗脳されてたのを聞いてたから、
わたしの中で勝手にその刃先が自分にも向けられてたのかもしれないな。

 

でも。

それでもすごかったのは、
母はわたしの前で、一度も父のことを悪く言わなかったのだ。
そうただの一度も。

軽い愚痴でさえ聞いたことがない。

 

母は、父からどんなに無視されても、
毎日必ず「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」
って父に明るく挨拶をしてたし、

わたしが「お父さんは悪口言うからだいっきらい!」
父がいないところで泣いてると、
いつも困ったようにわたしをなだめた。

「でも、お父さんだって毎日お仕事大変なのに、家族のために頑張ってくれてるんだよ」
「お父さんにもいいところたくさんあるから」
って、母は何度もわたしに言った。

 

お母さんなんで?
なんで毎日無視されたり、
いないところで悪口言われたり、
何しても否定ばっかりされるのに。

お母さんがかわいそうだよ、
なんで、あんなにひどいお父さんをかばうの?
なんで嫌いにならないの?
なんであんなお父さんと結婚したの?

なんで離婚しないの?

悲しいのは母だったはずなのに、
わたしは悔し涙を止められなくて、ずいぶん父のことで泣いた気がする。

 

それくらい当時のわたしには、
父が母を散々けなし、それでも母が父をかばう状況がまったく理解できなかった。

 

でも、そんなふうに優しい母のことは心からすごいとも思っていたし、
だからこそとても尊敬できた。
(同時に父のことはどんどん嫌いになった)

 

今だからわかるけど、
母は「子どもの前で弱さを見せちゃいけない」とか、
「母親が父親の悪口を言うなんてダメだ」と
つらさと孤独に一人で耐えてたんだと思う。

すごく辛抱強いというか、
それが母なりのわたし達子どもへの愛情だったんだろうな。

だって、母が誰もいないリビングで
時々こっそり泣いてたことを本当は知ってた。

小さい頃のおぼろげな記憶。
夜中にトイレで目が覚めたら、暗い部屋で声も出さずにすすり泣く母の姿。
寝ぼけてたはずだけど今も目に焼き付いてる。

だけど声をかけられなかったんだ。
当時のわたしはあまりにも無力だった。

 

でもわたしは母が本当に大好きだった。
だから、母が好きなものは、なんでも大好きになった。

母が結婚して上京する前は英語の先生だったと聞いて、
わたしは英語が大好きになった。

母がお花が好きで庭いじりをよくしてたから、
わたしは花も大好きになった。

母がモンブランが好きだったから、
わたしもモンブランが大好きになった。

母がいつも紅茶を淹れてくれたから、
わたしは紅茶が大好きになった。

英語の勉強も、
お花屋さんも、
モンブランも、紅茶も、
ぜんぶ母が好きだったから、わたしも大好きになったもの。

母の幸せそうな顔を見られる貴重なアイテム。

 

小学生からおこづかいをもらえるようになって
お年玉と合わせてコツコツ貯めて、
母が好きなお花をよく買ってあげた。

誕生日も、母の日も、クリスマスも、
イベントには必ずお花をプレゼントした。

レシピ本を買って、母の好きなケーキも焼いた。
母のひときわ好きなシクラメンと手紙を添えて。

母が喜ぶ顔が何より好きだった。
笑顔を見るとじんわり満たされた。

子どもすぎたわたしには、
せめてそうすることでしか、
笑ってる時間を少しでも長くしてあげることでしか母を救えなかった。

早く大人になりたかった。

わたしが早くいっぱいお金を稼いで、
そしたらお母さんを連れ出せるかなあ、、とかよく考えていた。

 

でも、母の心は正直とっくに壊れてたと思う。

嫌味も暴言も当たり前になりすぎて、
感覚が麻痺して、もはや悲しいことを悲しいとすら思えなかったんじゃないかって。

わたしたち子どものことは一生懸命愛してくれて、育ててくれたけど、
母個人の人生として考えたとき、決して最高に楽しい人生ではなかっただろう。

 

父と結婚するために好きだった仕事を辞めて
九州の田舎から知り合いのいない東京に来て。

ずっと家にいて、たった一人で4人を育てながら
家事も全部一人でやって。

それだけじゃなく、
地域の行事もPTAも、宿題や習い事の管理も、
子ども同士の喧嘩のいざこざの対応も、
お金のやりくりも。

父は当然家事や子育てなんて一切しないから。
本当に大変だったと思う。

毎日を乗り越えるのに必死で、
自分の心を壊す暇さえなかったんじゃないかと思う。

きっと支えてくれる人が欲しかっただろうな。

当時の母の孤独と苦労を思うと
未だに泣きそうになる。

 

だけど、自分を犠牲にしてでも、
わたし達を全力で愛してくれたことには感謝しかない。

つらいって言わなかったのも、
子どもが成人するまで離婚しなかったのも、
ほんと愛情だなあって。

そこをすごく尊敬してるし、
わたし達子どもが少しでも母の人生の支えになってたんだとしたら、それには少し救われる気がする。

 

結局、今は両親は離婚してるけど、
だからと言うか、母の教えにはところどころに「人生は我慢の連続」みたいな要素が垣間見えて、
わたしはそれが今もすごく悲しい。

人生甘いもんじゃないとか、
人の気持ちは変わるとか。
我慢して我慢してそれでも良い心でいればきっといつか誰かが見てるとか。

その考えが良いとか悪いとかじゃなくて、
母はきっと「人生ってつらくて当たり前」って思うことしかできなかったんだと思う。

せめて自分の人生を否定しないために。

それが本当に悲しい。

 

で、大人になった今すごく思うのは、
わたしはどんなお母さんにだって、自分の人生をめいっぱい楽しんで欲しい。

そのほうがきっと子どもも幸せだし、何よりその子自身が「人生って楽しいものなんだ!」って未来に希望が持てると思うんだ。

 

子どもは親の背中を見て育つって言うけど
人生を楽しんでるお母さんの姿に、安心して自分を重ねることができる。

未来が楽しみになる。
こうなりたいって思える。
人生に目標ができる。

それって本当にすごいことで、大切なことで。

てか単純に、お母さんが笑っててくれることが嬉しいんだけどね。ほんとにそれだけで。

 

わたしの母はきっと「我慢も愛情」だとか
「自分のことは二の次」って価値観で人生を送ってたと思う。

まあ女性で自由に稼ぐって選択肢が今ほどなかったのもあると思うし。

 

けど、わたしはもっと母自身が幸せになる選択をしてほしかったなと、未だに悔しい。

だからもし昔に戻れるなら母にこう伝えたい。
もっと自分のこと大事にしてよって。

母の人生だって一回だし、
子どものための人生じゃないし、
母のための最高な人生であってほしかった。

 

今のわたしは起業したから、
これからいくらだって自分のやりたいことに時間を割ける。

お子さんがいるお母さんで
人生を楽しめてない人がいたら、
わたしで救えるならもっともっと救いたいってすごく思ってる。

 

今のわたしにできることは、
そのお母さん一人一人の強みを見つけたり、
それを活かす場所や活かし方を教えてあげたり。

そうやって「人生を楽しむお母さん」を少しでも増やしたい。

 

お母さん達には、自分の人生を楽しむことを諦めないで欲しい。

子どもとか、夫とか、家族の問題で悩むことがめちゃくちゃあると思うし
そうは言っても自分のことばっか考えてられないのが現実だとも思うけど、理想論って言われようが、それでも思う。

 

子どもとか家族とかだけじゃなくて
まず自分に価値があること、
自分の人生にもすごく価値があることを自覚して、
まずお母さんが誰より幸せになって欲しい。

それで子どもが救われることだってある。

 

何かだいぶ真面目な記事になったけど、
わたしは自分の母も、世の中のお母さんたちも本当に尊敬しているし、
心から力になりたいと思ってるので
その気持ちを正直に書きました。

 

長い文章をここまで読んで下さり、ありがとうございました。
今日はおしまいです。


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ABOUTこの記事をかいた人

28歳 個人起業コンサルタント。 22歳から働きまくってトップ営業マンになり、 25歳で広告ベンチャーの最年少管理職にのぼり詰めるも 雇われて生きることに疲れ、起業家の道へ。 好きな言葉は『本質・最短・効率化』。 趣味は仕事♡ キラキラインスタ女子と真逆にいる、冷めてる系女子です。