プロフィール

初めまして。
土谷 愛(つちたにあい)です。

一体どんなやつが
このブログを書いてるの?

・・・と思ってる方も
いらっしゃると思うので
まずは自己紹介がてら、こちらの漫画をどうぞ。

わたしの人生のストーリー、
いかがだったでしょうか?

わたしは、人にはできないほどの
特別な努力をしたわけではありません。

ただ、
自分の”ダメなところ”から”自分の強み”に目を向けた、
たったそれだけです。

だから

自分の強みを知ることができれば
あなたの人生は良い方向に変わる

ということを、
今、自分に自信が持てずに悩んでいる人に
わたしは心から伝えたいです。

なおかつ、わたしは、
人の強みを見つけ出すのが大好きなので
自分に自信がない、
昔のわたしみたいな人を相手に
その人の強みをどんどん引き出して

いい仕事して、いい恋愛して、人生楽しい!
って心から言ってもらえるようにしたいな、と思っています。

そんな人をひとりでも多く増やせたら、わたし自身がめちゃくちゃ幸せだなって思うんです。

…と、こういう理念があって、
このブログやメルマガで発信しています。

このブログでは

  • 自分の強みを見つける方法
  • 自分の強みを活かしたキャリアや働き方
  • 恋愛や仕事がうまくいく考え方
  • 人生を楽しくするコツ

などを、わたしの経験から
惜しみなく伝えていきます。

ぜひ興味のある記事から
どんどん読んでください。

いいなと思う記事や質問があれば、
ぜひ気軽にコメントやメールを
送っていただけると嬉しいです^^

ちなみに、最近は、
「どんな働き方してるの?」
と聞かれることが多いので
わたしの一日の密着動画を撮ってみました。

(iPhoneで思いつきでパッと撮ってみたので画質はご容赦ください;;)

わたしの働き方の雰囲気が
なかなかリアルにわかるかと思います。笑

そしてここから先は
もう少し詳しく、
わたしの人生の物語をお話しします。

読んだ方からは
「共感した!」「感動しました…」
とお声を多数いただく
なかなか面白い人生なので
ぜひ続きを読んでみてください^^

目次

わたしが歩んできた人生

「トイレに行きたい」すら言えなかった子ども時代

4人兄弟の3番目に生まれたわたしは
小さなころから、
ものすごく内気で人見知りな子どもでした。

例えば保育園に行くとき
送ってくれた母と
離れるのが寂し過ぎて、
毎朝わんわん大泣き。

何とかなだめられ、
母と別れてからも
外で遊ぶ元気な友達の輪に入れず
教室の隅でぬりえをひたすら塗っていたんだそうです。

保育園の先生が母にわたす連絡ノートにも
「愛ちゃんは本当におとなしい子です」
と書かれる始末。
(全然喋らないから書くコメントがなかったんでしょうね…)

実際、

これは保育園のひなまつり行事で
撮ってもらった写真なんですが、

わたし以外の子は
めっちゃ笑顔だったんですけど
わたしだけ全く笑顔ができてないっていう。笑

当時、母はずいぶん心配してたみたいです。

小学校に行くようになってからも
とにかく「おとなしくて目立たない」
絵に描いたような性格で、
もちろん授業中に
手をあげて発言することは皆無。

・・・実はひとつ、記憶の中で、

人生イチ恥ずかしい思い出があって。

小学校1年生になったばっかのとき
授業中にトイレに行きたくなったんだけど

「先生トイレに行きたいです」

って手を挙げて言うのが
本当に恥ずかしすぎて
どうしてもできなくて、
ずーーーっと我慢していたんです。

でも結局我慢しきれず、
なんと席に座ったまま漏らしてしまうという…

もうマジで恥ずかしすぎて
鮮明に映像を覚えてます。。
(今これ書いてるのも恥ずかしい。笑)

結局そのときは、
担任の先生の神対応に助けられました。

わたしの席の下だけ床が濡れていて、
いち早く事態に気づいた先生が
授業中に教室の後ろで
派手に転ぶ演技をして

わあああ先生が転んだはずみで
水が入ってたバケツをひっくり返しちゃった!!
そのせいで床が濡れちゃったよーー
みんなごめんね!><

という、めっちゃ神がかった演出を
とっさにしてくれたので
なんとかお漏らしはバレず、、
事なきを得ましたw

素晴らしい先生に恵まれたおかげで
わたしはその後の6年間を、
何とか白い目で見られずに済みました…。

その先生の顔と名前は今でも忘れません。笑

・・・とまあ、
とにかくそのくらいおとなしくて
自己主張がまったくできない子ども時代だったわけなんです。

放課後になるとサッサと帰宅し、
ひとりで近所の図書館に通い詰め、
ひたすら本を読むのが幸せでした。

今思うとめちゃくちゃ失礼なんだけど
可愛がってくれる近所のおばさんのことでさえ
怖いなぁ、、と当時は思ってましたね。

姉への憧れが消せなかった中学時代

そんな感じで
超おとなしかったわたしですが

3歳年上の姉は、
わたしとは対照的。

めちゃくちゃ明るくて、
どこに行っても友達が多い人気者
でした。

小学生の時から、
お姉ちゃんは、
放課後は大勢の友達と帰っていて
家に帰れば、
お姉ちゃんの友達が毎日のように遊びに来てて…

大体ひとりで部屋にこもり、
本を読んでるだけだったわたしは
姉は太陽でわたしは影みたいだなぁ…。
ってずっと思って生きてきました。

いつもキラキラ明るい姉が
すごくうらやましかったんですよね。

そんな姉は、
中学でバスケットボール部に入っていました。

そして姉が卒業したその年に
中学に入学したわたしは、
なんと姉の後を追うように
バスケ部に入ります。

子どものころから、
マジで本しか読んでなくて、
運動はかなり苦手だったのに
なぜ突然バスケ?!
って感じなんですが

今思えば、一生懸命、
姉のマネをしてたのかなぁと。

それくらい、
明るい姉みたいになりたい思い
すごく強かったんだなと思います。

・・・振り返ると、
このころくらいから
「明るくて活発な自分」を
無理して演じるようになっていきました。

  • バスケ部に入ってさも活発な性格のように見せる。
  • 文化祭委員になってクラスをまとめてる風に見せる。

などなど…

本当の自分は、
内気で人見知りでおとなしいのに
そんな自分へのコンプレックスを
なんとかして打ち消したかったんですね。

キラキラ女子グループに入れたけれど…苦痛だった高校時代

中学校のときに身につけた
”明るい自分を演じるクセ”
実は高校になっても続きました。

高校生にもなると、メイクや髪形など、
オシャレに敏感な女子たちが増えてきて
そういう可愛くて目立つ子たち
クラスの中心になっていきます。

クラスの女子では

・可愛くてキラキラ目立つ女子グループ
・おとなしくて控えめで地味めな女子グループ

と層が分かれていました。

で、普通に考えたら
わたしは後者のグループ属性なんだけど
当時はもうそれがコンプレックスで
しょうがなかったから

何とかしてキラキラ女子グループに入りたい!
って高校に入る前から
実はひそかに思っていました。

そんなわけで、
引き続き今度は、
「明るくて流行に敏感な女の子」
を演じていくことになります。

  • 周りの子に積極的に話しかける
  • メイクを覚えて可愛くする
  • 雑誌を読んで流行に詳しくなる
  • とりあえず彼氏をつくる

その努力(?)のかいもあり
高校に入学してすぐに、
どうにかキラキラ女子グループの子たちと仲良くなることができました。

やったー!!という反面、

でも正直なところ、
このときは本当にしんどかったです。

当時は絶対認めたくなかったけど
もう明らかに無理してましたから…。

毎日、グループのみんなで
お弁当を食べながら話すのは

・彼氏とのデートの話
・昨日みたドラマの話
・誰かの噂話

こういうのばっかりで。

内心では
「つまんないなぁ」って思いながらも、
必死に話を合わせてました。

本当のわたしは、
本を読むのが好きだったから、
小説の話とかもしたかったし

英語の勉強が好きだったから、
授業の課題の話とかも
普通にしたかったんですよね。

でも、
キラキラグループにい続けるために
楽しくはないけど適当に彼氏の話をしたり
みんなの話を聞いてニコニコうなずいたり。

そんな毎日をボンヤリ過ごしていました。

生きているのに、
まるで死んだような毎日でした。

ばかみたいだなwって
笑われちゃうかもなんですけど

それもこれも、本当に
引っ込み思案な自分が嫌いで
コンプレックスをこじらせまくってて

だからこういうふうに
無理やり理想の自分を演じることでしか
当時は生きられなかったんですよね。

・・・今、こうして振り返ると

子どものころから高校時代までは
人生で楽しかった思い出ってほとんどないなぁ…。
と悲しい気持ちになります。

ずっと何しててもつまらなくて
自分が嫌いで、
毎日どこか満たされなくて
心から笑った記憶もほぼ無くて…

ものすごく何かが嫌!
とかではなかったけど
なんだか毎日が息苦しくて。

当時は生きるのが本当につまらなかったです。

そんな中で、
高校3年生になり
周りと同じく、
大学受験を志すわけですが

学校に行かずに、
家でひとりで勉強できるから
受験期のほうが、むしろ高校生活よりずっと楽だなって感じてました。

特別頭がいいわけでもないし
勉強はそこまで好きじゃなかったけど

合わない友達と、
無理にテンションあげて話すより
ひとりで黙々と勉強できる環境が、
この時はマジでありがたかったですね。笑

ちょうど受験勉強中に、
付き合っていた彼氏に振られる
・・・というショックな事件もあり

ふさぎこんだわたしは、
何もかも忘れるように
ひたすら勉強する日々を過ごします。

そんなこんなで受験を乗り越え
第一志望の大学は落っこちましたが泣、
第二志望でなんとか受かった、
東京の私立大学に進学しました。

もつ鍋屋のバイトで人生が変わった大学時代

暗黒期だった高校を卒業し、
わたしは晴れて大学生になりました。

中学のバスケ部とか、
高校のキラキラ女子グループで
「自分を演じる」ことに
心から疲れ切っていたわたし。

幸い、大学になると、
高校までのようにクラス単位で
活動することが少ないので

友達を作っても作らなくてもいい。
という自由な雰囲気が
なんとも気楽で大好きでした。
(どんだけ疲れていたのだろう…苦笑)

さて、
私立大学に進学したこともあり

4人兄弟だった我が家には
十分なお金がなかったので
奨学金を借りつつ、さらに、
大学に入ってからアルバイトを始めました。

(この奨学金に後々追い込まれることはまだ知らない)

本当はみんながやってる
飲食店バイトに漠然と憧れがあったけど
人見知りのわたしが接客業なんて
また無理してやって
疲弊するのはさすがに目に見えてたのでw

初めは塾講師のバイトをしていました。

中学生とか高校生相手だと
いくら人見知りのわたしといえど
さすがに喋ることができました。
(弟がいることも影響してるかも)

集団指導より個別指導をメインでやらせてもらっていたので
それもありがたかったですね。

苦手なことは、
ハードルを下げて挑戦するに限ります。

だけどひとつ問題があって

塾講師のバイトは時給は高いんだけど
生徒が来る放課後~夜の数時間しかバイトに入れないので
ん???なかなか稼ぎにくいぞ
ということに気づきます。。

じゃあ何かバイトをかけもちしようかな?
と思ったとき、

ちょうど地元の近くの駅を歩いていた時に
個人経営らしき小さなカフェに貼ってあった
「アルバイト募集」の張り紙を見つけて、応募してみました。
(結局飲食店への憧れが捨てきれず。笑)

カフェならのんびりした雰囲気だし
そんなに注文が多いわけでもないから
人見知りのわたしでも何とかできるかな?

こうやってちょっとずつ人見知りも克服していけたらいいなぁ、
とのんきに思っていました。

ところが
このカフェで働き始めて1年くらい経ち
事件が起こります。

そこは個人経営のカフェだったんですが
オーナーがお店をたたんで建物を貸しに出す
という話をし始めました。

え~~~せっかく良いバイト見つけたのに
また新しくバイト探すのか、、嫌だな、、
と思っていたら
オーナーが言いました。

「お店の借り手が見つかったんだけど、飲食店をやるらしいから、希望者はそこで引き続き雇ってくれるって」

話を聞いてみると
新たにオープンするのは、
どうやらもつ鍋屋さん。

まあいわゆる居酒屋です。

居酒屋バイトのイメージって
酔っ払い相手に接客するとか
元気な感じの子が多いんじゃないかとか
正直マイナスなイメージばっかりだったんですけど…

とりあえずバイトを探さなくて済むし
次のバイトを見つけるまでの繋ぎにしよう。泣

と思い、とりあえずそのまま
雇ってもらうことになりました。

実はこのもつ鍋屋で
ビジネスの楽しさを覚え始めることになり
わたしの人生が徐々に変わっていくことになります。

バイト時代のお話はこちらの記事にも。

ビジネスの楽しさはもつ鍋屋で学んだ。コンプレックスから好きを見つけた話

このもつ鍋屋で働いたことをきっかけに
それまでコンプレックスのかたまりだったわたしが
「努力が数字に変わりきちんと評価される」ことに楽しさを見出し始めます。

例えば、わたしがお客さんに
追加メニューをどんどん提案したり
飲み物のお代わりをこまめに聞いたり

ちょっとした工夫でも
頑張れば頑張るほどお店の売上があがって

そのうち「愛ちゃんに会いに来たよ」と言ってくれる常連のお客さんが増えていって…

それを店長にも認めてもらえて
褒められるのが
すっごくすっごく嬉しかったんですよね。

そうやって周りに褒められていくと

大嫌いだった自分のことが
ほんの少しだけ好きになれたような感覚でした。

調子に乗ったわたしは
バイトのくせにちゃっかり交渉して
時給を上げてもらったりもしてました。笑

大学生バイトのくせに時給950円→1200円にあげた交渉術

しかし、そんな楽しかった大学時代も終盤に。

苦しい苦しい就職活動の時期を迎えます。

まさかわたしが営業に?地獄の就活と社会人1年目

大学3年になり、
就職活動が始まりました。

超人見知りで面接も下手だった上に
ずっと”将来やりたいこと”なんてとくに無かったわたし。

就活で受けた100社以上の会社ひとつ残らず全部落ちました。

ぶっちゃけ
今のもつ鍋バイト生活が楽しすぎて
就職なんて嫌だな~としか思ってなかったので

どれだけ色々な会社説明会に参加しても
まったく身が入らず、
「こんな業界がいい」「こんな仕事したい」
なんてことみじんも思えませんでした。

でも周りは就活を始めてるし

とりあえずみんなと同じ真っ黒な恰好して
とりあえず名前を知ってる有名企業に行って
とりあえずみんなと同じ受け答えをして

ほんっとうに何も考えず、
ただ流されるままに形だけの就活をしていました。

当然こんなわたしが
どこかから内定をもらえるはずもありません。

こうしてまた”ダメな自分”を嫌いになっていきました…。

ただ、「就職しない」という選択肢はありえませんでした。

なぜかと言うと
大学の学費4年分をすべて奨学金で払っていたからです。

ちなみに、わたしが通っていた大学の学費は年間で100万円以上します。

つまりわたしには
卒業と同時に約450万円の借金を抱える
という事実が重くのしかかっていました。

追い詰められたわたしは仕方なく
誰も知らないような小さな食品系の商社を受けました。
そして奇跡的に内定をもらいました。

どんな会社だったか?というと
いわゆる超バリバリ体育会系の営業会社でした。

「頭より体を動かしてとにかく数字を取れ!」という方針で
どちらかというと”肉体労働が美学”とされる雰囲気でした。

正直、わたしのように一応そこそこ勉強して入った大学の出身者が好んで選ぶような会社ではなかったです。

でもだからこそ
わたしが内定をもらえたのも
その学歴を少し珍しがられて採用されただけだったと思います。

リクナビに載せる実績にできるし、みたいな。笑

なぜこんなに人見知りな性格なのに「営業職」を選んだのか?

理由は2つほどあって
いちばん大きな理由は

人見知りな性格へのコンプレックスを
もういい加減に解消したかった。

営業職ってそのためにはいい訓練かもしれないなあ
って最後の砦にかけるような思いでした。

そしてもうひとつ。
とにかく若くしてお金を稼ぎたかったからでした。

上にも書いた通り、
わたしは卒業と同時に約450万円の奨学金返済が始まることがわかっていました。

当時のわたしにとって
それは途方もない金額でしたが

もっと衝撃だったのは、
奨学金返済に関する冊子に書いてあった
毎月数万円ずつコツコツ返済するシュミレーションを見ていたら

なんと返済が終わるのは40代のとき。

途中、出産などで収入が途絶える可能性も考えると
もしかしたら返し終わるのは50代・・・?

それってほとんど永遠に返し続けなければいけないんじゃないか、、
もっと若いうちに何とかしてお金をたくさん稼いで返さなければ、、
とにかく焦っていました。

営業職なら
もし良い成績を残せれば
その分の成果報酬をもらえる会社が多くて
そこに目がくらんだのでした。

とにもかくにも
1社だけ内定を得たその営業会社に

「本当にわたしなんかが営業とかできるのかな…でも頑張らなきゃ…」
と不安な気持ちでいっぱいのまま入社します。

入社してからは
営業=元気!根性!ノリ!
みたいなイメージがとにかく強かったので(どんなイメージw)

周りの営業マンの真似をして
やっぱり「明るい体育会系キャラ」を演じるように仕事をしていました。

でもどんなに真面目にがんばっても
営業成績はまったく鳴かず飛ばずでした。

人見知りなのに、毎日初対面の会社に訪問しなきゃいけない辛さ。
売り込みもできずに断られ続ける悔しさ。
毎日、最下位(ビリ)に名前が載っている成績の順位表を社内に回覧される恥ずかしさ。

今まで勉強もそこそこ頑張ってきたのに
どうしてこんなに何も出来ないんだろう…
やっぱり自分はダメなんだな…

営業なんて向いてない。

そう思っては
家に帰って毎日のように泣き、
相変わらず自分に自信も持てず
自己否定で心はボロボロでした。

それでも
「ダメな自分を変えたい」
と思って始めた営業の仕事だったから

ここで折れたら人生終わりだ…
なんとか自分を奮い立たせて働きました。

1年経てばどうにか少しずつ
成績があがり始めたものの

競合他社との値下げ合戦をする
”薄利多売”な業界に限界を感じ、
社会人2年目には早々に転職を決意します。

24歳、人見知りからトップ営業マンへまさかの大逆転劇

転職して新しく飛び込んだのは
広告業界のベンチャー企業でした。

けれど心機一転、
新しい会社に入ったはいいものの
現実はやっぱりつらいことばっかりでした。

人生はそんな簡単に変わりませんね。泣

飛び込み訪問して、
お客さんに渡した名刺を目の前でシュレッダーにかけられたり

営業電話をして、
電話口で名乗った瞬間に怒鳴られガチャ切りされる…

そんな悲しい経験を死ぬほどしました。

もう本当に心が折れそうになることばかりで。

真冬の夜の真っ暗な帰り道を、
一人でおえつするほど
号泣しながら歩いたこともあります。泣

ドラマさながらというかもう。。

しかし、この会社で、わたしは衝撃の事実に気が付くのです。

何があったか?というと

入社当時わたしのデスクは
たまたま会社でいちばん売れている営業の先輩の隣でした。

なんせ1社目の会社では、
売れる営業マンはいわゆる体育会系で、元気でノリが良い男性たちばかり。

この先輩もそういう人なのかなー?
と思っていたら

実はこの先輩が、
体育会系とはまったく逆のタイプ
だったんです。

ある日、研修でその先輩の営業に
同行させてもらったら

1時間の商談の中で
お客さんばっかり喋ってて
なぜか先輩はほとんど喋らなかった。

1社目の先輩たちみたいに
お客さんを褒めちぎったり、飲み会の約束をしなかった。

「え・・?先輩こんな黙ってるけど今日は営業しないってこと?」

と、わたしはひそかに
不安になっていました。

でも商談が終わる間際になって
先輩が1分くらい喋ったら、
お客さんがすんなり契約したんです。

特別な営業トークなんかないのに
ものが1分で売れてしまう…

そんな魔法のようなシーンを
見たのは初めてで、

正直、

ええええええええ
何が起こってるんだ?!
なぜこれで売れる?!

という感じで
先輩の商談の帰り道、
わたしはめちゃくちゃ興奮状態でした。。

「えっ今なんで売れたんですか?」
「いつもこうなんですか!?」

食い気味に質問するわたしに
先輩は言いました。

「俺は喋るより人の話聞くのが得意やねん、だからそうしてるだけ」
※先輩は関西出身

そこでわたしは
ようやく気づくんです。

あれ?みんなと同じじゃなくていいんだ…
自分の武器で勝負すれば売れるんだ。

ということに。

それからわたしは
”明るいおしゃべりな営業マン”を演じるのをきっぱりやめました。

残念ながら本当の自分とは正反対だったので。泣

代わりに内向的な自分の
”ものを突き詰めて考える性格”を活かして

誰よりも多くお客さんに会いに行って
誰よりも長く話を聞いて
誰よりもたくさんお客さんのことを考える。

こんな営業スタイルになっていきました。

そして
”人のいいところを見つけ出す”のが
大好きだったので

お客さんの強みや商品の魅力を
自分なりにめいっぱい探し
提案の中にどんどん取り入れるようにしました。

そしたらどうなったと思いますか?

すぐにお客さんの反応が変わって
今までの自分では信じられないほどに、
お客さんが喜んでくれました。

「こんなにうちの会社を愛してくれてありがとう」
とお礼を言われるようになりました。

そして。なんと・・・

「ぜひ契約させてください!」
とお客さんの方から
連絡をくれるようにさえなりました。

演じていない自分のままで
ものを売って喜ばれたことが

本当に本当に嬉しくて…

社会人になってから初めて、「仕事が楽しい」と思うようになりました。

それからのわたしは
営業が楽しくて
もっと売れるようになりたくて
もっと喜んでもらいたくて

心理学やセールスのテクニック、売れる営業マンの考え方…

そういう本を読みあさり
片っ端から先輩営業マンをつかまえて質問し
時には役員や社長にまで教えを請いに行きw

とにかく夢中で勉強しました。

そして入社して1年、
気がつけばわたしの営業成績は
なんと社内でトップになっていました。

年に1度の表彰式で
初めて全営業マンの中でMVPを総ナメした瞬間は嬉しすぎて

今までの悔しさとか
やっと報われたんだなあとか
とにかくいろんな気持ちでいっぱいで、、

ステージの上で、全社員の前なのに、
涙がこらえられませんでした。

この日の気持ちは今でも忘れられません。

本当にあのダメな自分がMVP?!
と何度も耳を疑って
もう本当に夢みたいな日でした(;;)

↓興奮して表彰式の時に撮った写真
(このばーーっと表彰状並べるのずっとやりたかったんです!笑)

「おめでとうーーー!!!」
「すごいね!?どうやったの!?」

本当にたくさんの人から
MVPをお祝いしてもらって
お客さんからもお礼を言われて…

「こんな自分にも価値があるんだ」
と心から思えたのは、
わたしのコンプレックス人生の中で、
生まれて初めてのことでした。

そんなわたしは25歳で
社内の期待を背負って
最年少で営業部のマネージャーに昇進し
なんと部下を持つことになります。

人見知りからのトップ営業マン
そして異例の大昇進。

信じられない快進撃です。

マネージャーになってからは
もともと好きだった
人の強みを見つける力を活かし
後輩たちのいいところを片っ端から見つけて
とにかくそこを伸ばすような指導をしていきました。

そしたらこれまたびっくりなことに
部下たち全員の成績が
おもしろいほど爆上がり状態になって

わたしはマネージャーとしても会社から表彰されるようになりました。

自慢のメンバーたちと表彰の嵐、、!

自分でも驚くほどの成果を残して

こんなわたしが
会社でいちばん目立つ存在になり
十分すぎるほどたくさんの評価をもらいました。

・・・と、ここまでは
仕事がかなり絶好調にきているかのように思えました。

ところがこの後、
まさかの急転落期を迎えます。

1日の労働時間、18時間。限界を知った25歳

仕事が絶好調のわたしでしたが
ここで転機が訪れます。

マネージャーとして
結果を出し続けるようになると
どんどん重い業務が課され始めました。

「お前しかいない」
「お前には期待してる」

社長からも上司からも
そんな甘い言葉をかけられて。

結果、気がついたときには
ざっと見積もって5人分くらいの仕事をわたし一人に任されるという

とんでもない状況に陥っていました。

覚えてる限りだと…

・社内一高額な売上ノルマ
・チームの売上ノルマ
・部下10人の個別指導
・新規プロジェクトの責任者
・事業計画の作成
・取締役会議でのプレゼン

など、思わずいじめか?と錯覚するくらい
当時25歳のわたしにはいっぱいいっぱいの状況でした。

でも
今までつらくても色々乗り越えてきた、
っていう意地もあったんでしょうね。

気持ちだけで
毎日を何とか乗り切っていました。

全員を立派に売れる営業マンに育てて
その後の長いビジネスマン人生を
充実したものにしてあげたい。

わたしがコンプレックスを乗り越えて
仕事が楽しくなったように
この子たちにも仕事を楽しんでほしい。

若いマネージャーだからって
やっぱりダメだなって思われたくない。

そんな思いが強かったので
とにかく持てる時間のすべてを使って

本を読んで勉強し、
自分の営業もこなし、
社内会議に出席し、
部下からの相談の時間を作り…

大げさじゃなく
このころは毎日が
分刻み、むしろ秒刻み
スケジュールでした。

早朝7時から夜中1時ごろまで
毎日会社にいて

1日約18時間、
週休1日あるかないかで
働いて働いて働きまくりました。

このときはすでに
楽しかったはずの仕事も
もはや楽しいとか、そういうことは考えられなくなっていました。

ただ毎日を乗り越えるのに必死でした。

そしてそんな毎日はわたしから
睡眠や食事の時間も、心の余裕も
何もかもを奪っていきました。

会社、辞めよう。そう決意した26歳の夏

そんな生活を半年続けたある日
限界は、突然やってきました。

朝いつものように携帯のアラームが鳴って

目は覚めているのに
携帯へ伸ばしたつもりの手が動きません。

ピピピピ、ピピピピ…

一人暮らしの小さな部屋に
けたたましいアラーム音がずっと鳴り響いていました。

動きたいのに、身体が動かない。

身体が鉛のように重いのです。
そんなことは生まれて初めての経験でした。

「やばい、、、このままじゃ会議に遅刻する」

やっとの思いでベッドから転がり落ち
数分かけて起き上がり
ノロノロと身支度をし始めると

今度は急激な吐き気に襲われました。

トイレに駆け込み、
床に座り込みながら
もうろうとした頭でようやく思ったこと。

「もう会社に行きたくない…」

それが、初めて身体からの”限界”サインを認めた日のことでした。

その後…

病院で「自律神経失調症」と診断を受け
休職を余儀なくされたわたしは、
家で絶対安静と言われます。

毎日、
誰もいない一人暮らしの部屋で
一日中ベッドに横たわり

誰にも会わず、誰とも話さず

ぼーっと白い天井を眺めながら
ただひたすらに自分の将来を考えていました。

親や友人からは
「あまり仕事のこと考えないほうがいいよ」
と言われたけれど

社会に出てからもう何年もずっと、仕事しかしてこなかったから

急に時間ができても
何もやることがなかったんですよね。

働けば働くほど結果が出るのが楽しくて

こんなに内気で何もできない
大嫌いだった自分でも
若くても、女性でも、
社会に認められ評価されていくのが嬉しくて。

でもだからこそ逆に
「仕事してない自分には価値がない」
とさえ思うようになってしまっていました。

だけどこんな状態になっても、
わたしは別に働くこと自体が嫌いなわけではありませんでした。

・目標を達成したとき
・お客様に感謝してもらえたとき
・後輩の成長を見たとき
・個人やチームで表彰されたとき

仕事をしていて
涙が出るほど嬉しかった瞬間は
やっぱりたくさんあって、、

つらかった経験も含めて
本当にダメだった自分を成長させてくれたと思えるからです。

でも同時に、こうも思いました。

・本当はもっと寝たい
・本当はもっとちゃんと食べたい
・本当はもっと友達や家族に会いたい
・本当は事務作業とか苦手でやりたくない
・本当はノルマに追われて仕事したくない

今まで言えなかった思いが、自分の中にはたくさんありました。

それまでわたしは

「会社に雇ってもらっているから」
「自分を育ててくれた会社だから」
「若いのに管理職をまかせてもらっているから」

もっと会社に貢献しなきゃいけない、
自分の思いばかり主張しちゃいけない
求められる役割を演じなきゃいけない

いつの間にかそう思うようになっていて

無意識のうちにストレスを溜め込んでいたんだな
と初めて気づいたんです。

こうやって身体を壊すまで
気付かないフリをして
自分の身体をないがしろにしすぎた事を
とても後悔して泣きました。

わたしの営業マン生活は、
そのくらい壮絶な時間でした。

それからわたしは
もっと自分が自分のままでいられる働き方を
本気で探すようになります。

しばらく療養した後に、
色々考えたあげく、
その広告会社を退職することに決めました。

内気なコンプレックスだらけの自分を
ここまで育ててくれた
大好きで大切な会社だったけど

「もう自分にできることはやりきった」
というのが本音でした。

平凡なわたしが「起業」の道を選んだ理由

実は会社を辞める前に
とある起業家の人が書いた本を
偶然手にしました。

その方は30歳くらいで
わたしとそう歳も変わらないのに

PC1台で、たった一人で起業していました。

はじめは
弁護士とか美容師とか
なにか専門の資格を持ってる人なのかな?
と思ったんですよ。

でも違って、
彼は大学在学中に起業したから
就職した経験が一度もないというのです。
もちろん何かの専門資格もない。

大学生でも、資格がなくても、
自分が誰かの役に立てる方法を見つけて
一人で起業して稼いでいるんです。

しかも、何億ものお金を。

それでいて
労働時間がほとんどなく

しょっちゅう旅行したり
趣味のギターを楽しんだり
美味しいものを食べに行ったりしている。

わたしからすれば
めちゃくちゃ異常な世界に見えるけれど
その方にとってはそれが日常。

この本との出会いは
頭をガツンと殴られたような衝撃でした。

わたしはそれまで
「起業」なんて才能ある人がするか
経験を重ねたおじさま達がするもので

平凡で未熟な自分には
無縁だと思っていたので

めちゃくちゃ普通の人が起業して
時間にもお金にも縛られず
好きな仕事だけをやって楽しく暮らしている。

「そんな世界があるなんて…嘘でしょ?」
と、あまりの衝撃で
本を読みながら
ガクガク震えた手の感覚を
今でも覚えています。

この本を読んだことをきっかけに、
会社員としての生き方に限界を感じていたわたしは
インターネットを使って個人で起業する道に
足を踏み入れる決意をします。

そしてきちんと勉強して
起業を果たした今では

人の強みを引き出したり、
人にビジネスやセールスを教えたり、
自分が本当にやりたいことだけを仕事にしています。

しかも、フリーランスなので
かなりマイペースに働き方を決められるようになりました。

例えば・・・

・朝は好きな時間に起きて、メイクや着替えをせずのんびり過ごす
自宅で仕事をしたり、
・気分転換に近所のカフェで仕事をすることも
・朝の満員電車や帰宅ラッシュとは無縁の生活
平日の昼間に映画や買い物、温泉などでリフレッシュ
・それでも安定した収入源があり
・お客様に心から感謝される

etc…

つまり「好きなことだけを仕事に」できているわけですが
会社員として働いている方からしたら
もしかしたら、読んでいて嘘のような話に感じるかもしれません。

でも、すべて本当の話です。
(このブログは家族や友人も読んでるので)

自分には何の才能もないと思っていた
24年間コンプレックスのかたまりだったわたしが
今こうやって人生を変えられているなんて
本当にすごいことだなあ、としみじみ実感しています。

これからの夢

コンプレックスからの営業マン生活→成長→昇進→休職→起業…

と、なかなか波乱万丈な
わたしの人生をお伝えしてきましたが

本当に好きなことだけを仕事にして
自由な働き方ができている今が、
人生で一番自分らしくいられる今が

わたしは本当に幸せです。

だけど、
今の幸せな生活を手に入れるまでに
わたしは社会に出てから、6年もかかってしまいました。

その間には、
本当につらかった時期や
人生に迷ってしまったことが
すっごくたくさんありました。

もうこのまま死ぬんじゃないの?
と何度思ったか、
正直なところわかりません。

だからこそ、これからは
かつてのわたしのように
コンプレックスを抱えてつらい思いをしてる人や
今のつまらない人生を変えたい人に

あなたにはこんな強みがあるよ、とか
こういう働き方・人生もあるんだよという選択肢を
本気で伝えていきたいと思っています。

もしあなたが
わたしの物語や言葉に共感していただけるとしたら
これからぜひブログやメルマガを楽しんでいただければ、本当に嬉しく思います。

最後に…

長い長いプロフィールを読んでいただき、
本当にありがとうございます!

感想やメッセージをいただけると更新の励みになりますので
各記事のコメントや、わたしからお送りする無料メルマガへの返信、ツイッターDMなどで何か一言でも送っていただけると嬉しいです。

たくさんのメッセージを頂いた場合には、お返事が遅くなってしまうこともありますが、頂いたメッセージにはすべて目を通しています(^^)

PS.

ちなみに…
何の資格も才能もなかったわたしが
どうやって個人ビジネスを学んで
会社を辞めて起業するに至ったのか?は

残念ながら今回書ききれなかったので、
代わりに無料メルマガで詳しくお話しすることにしました。

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会社員になって5年が過ぎたころ、自分の働き方に疑問を感じるようになりました。
「こんな働き方を一生続けて幸せなのか?」と。


そんなとき偶然にも、

自分では何の才能もないと思っていても
個人でお金を稼げる強みを見つける方法を知り

インターネットを使えば
収入に上限がなく、
時間も場所も自由に選び
やりがいを感じながら働ける

ことを知りました。


そして27歳のとき
たった一人、自宅で起業して
やりたいことや才能がなかった平凡な私でも
あっさりと人生を変えることができました。


この働き方について、昔の私のような人に届けたくて
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