普通の家庭で育ったのに、なぜか自己肯定感が低い大人になる理由を考えてみた
こんにちは、土谷愛です。
今日は、
「愛されて育ったのに、なぜか自己肯定感が低い大人」
について考察してみました。
結論から言うと、
「親の謙遜(けんそん)」
が答えなのではないかと。
簡単に言うと
「相手を立てるために、自分を下げる」
という行為。
つまり、
自分の目の前で、親が謙遜するのを見て育った子どもが、自己肯定感が低くなるのだろう。
という結論に至りました。
どういうことか?
ちょっとくわしく話していきますね。
愛されて育っても自己肯定感が低い大人
そもそもこれって結構、
意外とあるあるだと思うんですが、
ごく普通の家庭で、
親からの愛情もそれなりに受けて育ったのに、
なぜか自己肯定感が低い大人
っているんですよね。
自分に自信がなかったり、
それゆえに
色んなことにチャレンジできなかったり。
でもこれって
超不思議じゃないですか?
よく、
「両親からの愛情を十分に受けられなかった子は自己肯定感が低くなりがち」
って言われてて、
それは理解できるけど。
両親から愛されていたのに、
自己肯定感が低い。
これってどういうことなんだろう?
ってずっと気になってたんです。
実は、かくいうわたしがそうで、
両親そろった家庭で、
夫婦仲は悪かったけど、
父母ともに、子どもには愛情を注いでくれた記憶があるんです。
でも、それなのにわたしは
自己肯定感が異常に低い大人に育ってしまって。
別の記事でも散々書いてますが、
自分の大人しい性格にコンプレックスがあったり、
勉強も運動もできない自分を
「出来損ないだ、、」と否定し続けてきたり。
わたしは24歳になるまで、
とにかく「自分に自信がない人生」を
送ってきました。
「自信がない」って、
何度口に出したかわからないし
行ってみたかった海外留学も、
初めて好きになった男の子も、
憧れだった広告業界に就職することも、
「わたしなんかできるわけない」って
挑戦もせずに諦めてしまった夢が
たっくさんあった。
そりゃあもう腐るほどあった。
こんな感じで
わたしの自己肯定感は
周りの子よりも異常に低くて、
なんでだろう?と
20年以上ずーーーっと考えてました。
で、その答えが、
日常のちょっとした光景から
ピンとひらめいたんです。
母が語る「昔のわたしのエピソード」
それが何だったかって言うと、
夫と結婚したばかりの頃、
わたしの実家に
夫を連れて帰省したことがあったんです。
母はおもてなそうと張り切り、
到底食べきれないほどの料理を作りまくっていたり笑。
まあそんな感じで
楽しく過ごしてたんですよ。
で、よくある感じなのですが、
夫に向かって、
母がわたしの昔話をするわけです。
「愛は小さい頃こんな子だった」
「こんなエピソードがあって…」
っていう、
まあよくあるやつです。笑
それをわたしは、
ぼーーっと眺めてたんだけど、
あることに気づいたんですよね。
母が、わたしの失敗談ばかり話している。
ということに。
例えば、
小学校の運動会で、
かけっこで転んでビリになった話とか。
小6のとき、
算数が異常にできなさすぎて
慌てて学習塾に連行した話とか。
授業参観で、
恥ずかしくて手があげられない話。
もうそういう、
当時のわたしがコンプレックスに思っていたような話を、
そりゃあもう延々と。
面白おかしく、
懐かしそうに、
母が夫に向かって話してたんですよね。
で、こんな光景を眺めながら、
ピン。
ときたんです。
20年来の謎が解けた感覚。
この光景・・・
どこかで見たことあるな。
って。
で、記憶をさかのぼると、
子どもの頃、
母が、
同じクラスの子のお母さんと話すとき。
近所のおばさんと話すとき。
親戚の集まりで話すとき。
こんな光景がずっとあったなって。
お母さん同士、女同士の特徴かもしれない。
つまり、
他人の前でわたしの話をするとき、
母は謙遜したんでしょうね、
わたしの情けない話とか、
できないエピソードを話すことで、
相手の笑いを誘ったり。
ああ思い出してみると、
よくそういうコミュニケーションしてたなあって。
もちろん冗談っぽく、
本気で「ダメな子」と思われてたわけじゃないことは
今振り返るとわかるけど。
でも、
「うちの子なんてこうだから…」
って、お母さん同士で言い合ってる光景、
すっごいよく見たなって。
思い出した。
わたしはその間、
じっと黙って聞いてたけど
そのたびに、
1ミリずつ、
1センチずつ、
無意識のうちに
母の言葉に傷ついてたのかも。
もちろん母がわたしを下げると、
相手のお母さんは、
「いやいや愛ちゃんは優秀な子だし!」
と言って、
わたしを上げてくれるんだけど、
それでもわたしは、
わたしが一番褒めて欲しかったのは、
きっと母だったから。
他人からどんなに褒められても、
一番認めてほしい人に認められなかったら、
きっとその方が
ずっとショックだったんだと思う。
でもこれは今だから言えるけど。
お母さん同士って、
女性同士のコミュニケーションだから
確かにこれって、
気持ちはすごいよくわかるんだよな。
女性の付き合い方って、
良くも悪くも、
お互いに相手を褒め合うとか
あるいは、
自分を下げ合うとか。
そういうのがどうしても多いし。
わたしが苦手な女子会だって同じで、
例えば大好きな彼氏がいても、
それをストレートに言うと、
「のろけ?」とか言われちゃうなと思うと、
あえてケンカした話をしてみたり。
こういうコミュニケーションって、
女子はすごく多いなって。
で、母もまた同じように
お母さん同士のコミュニケーションとして、
自分のことを下げて見せたり、
我が子(わたし)を下げて見せたり、
そんな感じで謙遜してたんだなと。
母がわたしの失敗談を語るのを見て、
そんなことを感じました。
つまり、
「愛されて育ったのに、なぜか自己肯定感が低い大人」。
この正体は、
たぶん「親の謙遜」だったんじゃないかなと。
確かに考えてみても、
他人の前で、
我が子を褒めまくる親って少ないと思う。
やっぱりどこか謙遜して、
「うちの子このまえテストで0点だったのよー」
「いやいやうちなんて・・・」
って。
こんなコミュニケーションが、
日本中に実際多いと思う。
でも。
子どもは親をよく見てるから
親を見て育つから、
こんな何気ない謙遜ひとつで、
「わたしなんて」
と思ってしまうこともあるんだなって。
今回すごく学びになった。
さらにそれが、わたしの場合は
20年以上拭うきっかけがなく、
自分で自分を
ずっと認められないまま
大人になってしまった。
けど、だからって
親が全部悪いとか、
そうなっちゃったらおしまいとか、
そういうことは思わない。
現にわたしは大人になってから
「自信」が欲しくて、
欲しくてたまらなかったから
自分で試行錯誤して
少しずつ手に入れてきたわけだし。
でもちょっとした言葉で、
子どもの心がこんなにも変わるのだとしたら。
これってすごくいい気づきで、
わたしもいつか子どもを持ったら、
こういう気持ちを忘れないでいたいと思う。
そんな話でした。
今日はおしまいです。
ちなみに、24歳まで
底辺レベルの自己肯定感だったわたしが
「自信」を少しずつゲットした話を、
この記事や、動画でくわしく話してみました。
「無意識に人を観察するクセ」がコンプレックスだった私は、生きてるだけでしんどかった。
以下は、同じような境遇の方からは、
「涙が出ました」と言っていただける
わたしの過去物語です。
1時間の動画なので、
作業しながらか、寝る前にでもぜひ聴いてみてください。
感想もぜひお待ちしてます。
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